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大阪地方裁判所 平成3年(わ)1569号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一  公訴事実等

本件公訴事実は、「被告人は、平成二年九月二八日の午前一時ころから午前六時ころまでの間、大阪市住之江区東加賀屋〈番地略〉A方一階台所において、同人所有にかかる現金約六万円を窃取したものである。」というにある。

これに対し、被告人は、「公訴事実は全く身に覚えがない。」と述べ、弁護人も、「被告人は、平成二年九月二八日に大阪にいたことすらない。」と主張する。

第二  外形事実及び問題点

そこで、証拠を検討するに、Bの検察官及び司法警察員(三通)に対する各供述調書、同女作成の被害届(二通)及び盗難被害品確認書並びに司法警察員作成の平成二年一〇月一一日付、平成三年三月一五日付及び同年五月八日付(検察官請求の証拠番号六のもの)各写真撮影報告書によれば、何者かによって、平成二年九月二八日の午前一時ころから午前六時ころまでの間、大阪市住之江区東加賀屋〈番地略〉所在のA方一階台所から、同人所有の現金約六万円及びブレザー一着、同人の妻B所有のショルダーバッグ、手提げバッグ、セカンドバッグ及び財布各一個が、また、同人方玄関出入口のスリッパ立て付近に置いてあった同人の娘C所有のショルダーバッグ一個が窃取され、右現金を除くその余の盗難品が、同人方台所南側出窓と同人方南側外塀との間に植えられている庭木の根本付近に投げ捨てられて錯乱していたこと(以下、これを本件窃盗事件という)が認められる。

そして、検察官は、本件窃盗事件の犯人と被告人とを結び付ける証拠として、前記A方一階台所の茶箪笥の引出しの外側から採取したものであるとする現場指紋一個(〈押収番号略〉、以下、本件指紋という)及び本件公訴事実は間違いがないとして自白した被告人の司法警察員(平成三年四月二六日付及び同月二九日付二通)及び司法巡査に対する各供述調書を提出する。

加えて、証人浦岡宗嗣の当公判廷における供述並びに同人作成の鑑定書及び現場指紋等確認通知書によれば、本件指紋は、被告人の左手環指の指紋に一致することが認められ、指紋の持つ証明力の強さ及び右自白調書の存在に鑑みると、被告人が本件窃盗事件の犯人であることは、一見疑問の余地がないかのようにも思われる。

しかしながら、本件において問題なのは、本件指紋が果たしてA方台所から採取されたものかどうかという点であり、また、被告人の自白調書が真実を語ったものとして信用することができるかどうかという点である。

第三  当裁判所の判断

一  指紋について

1  証人松本公一は、当公判廷(第二回)において、本件窃盗事件発生当日の午前七時ころ、被害通報を受け、盗難臨検用の資機材を持ち、A方に臨場して被害を確認し、B立会いの下、現場から約一〇個の指紋を採取したが、採取した指紋については、その都度、指紋原紙裏面の事件名、採取日時、採取場所、採取物件、採取者欄にいずれについても、松本自身が記載し、全部ビニール袋に入れて、午前八時ころ、応援のために現場に駆け付けた川手尚年巡査部長に引き継いだ旨供述した。そして、証人川手尚年も、当公判廷(第三回及び第四回)において、右松本証言に副う供述をし、松本から引継ぎを受けた指紋原紙裏面の各記載事項欄は、総て記入されていた旨述べている。

2  しかしながら、本件窃盗事件現場から採取されたものとして提出されている本件指紋原紙の裏面の立会人欄には、何らの記載もなく、空白のままである。犯罪捜査規範九二条は、現場指紋の証明力が極めて強力であることから、その証明力を担保するため、「遺留品、現場指紋等の資料を発見したときは、年月日時および場所を記載した紙片に被害者又は第三者の署名を求め、これを添附して撮影する等証拠力の保全に努めなければならない。」と規定しており、しかも、証人松本公一は、当公判廷(第六回)において、右規定について、「知っています。いつもそうしています。」と供述しているにも拘らず、本件指紋の採取に当たっては、右手続が履践されず、Bに対して署名を求めた様子がないことに加え、本件窃盗事件の犯人は、A方の庭に投棄した多数の窃取物件に手を触れている筈であるのに、これらについては指紋の検出作業をしていないとされ、台所から採取された一〇個の指紋(指紋原紙八枚分)のうち、対照可能な指紋は本件指紋のみであったとされていることを併せ考えると、本件指紋が果たしてA方から採取されたものかどうか疑わしくなってくる。

3 そして、証人松本公一は、検察官が、弁護人から強い要求を受けるなどして、漸く本件指紋原紙を法廷に証拠として提出することを事実上決定した後の第六回公判において、本件指紋原紙裏面の各欄のうち事件名欄及び採取者欄については、住之江署の鑑識係員である岡本(光彦)巡査が記載したものであると供述を変え、且つ、同証人が、右各欄が岡本巡査によって記載されたことを知った時期については、第二回公判の前からであると供述したり、あるいはその後であると供述し直したり、動揺しながら不自然な変遷証言をしているが、それでも、採取日時、採取場所、採取物件の各欄は、本件窃盗事件の現場において、松本公一巡査自身が記載したことに間違いない旨再度明確に供述した。

ところが、証人馬路充英の当公判廷における供述及び同人作成の鑑定書によれば、本件指紋原紙裏面の採取日時、採取場所、採取物件の各欄に記載されている文字は、松本公一巡査が代書したB作成の被害届、松本公一巡査作成の平成三年五月七日付捜査報告書並びに同人が第二回及び第六回公判廷において記載した各宣誓書中の同人の署名及びメモの筆跡と対比して相違する可能性が極めて大きいこと、即ち、右の各欄の記載は松本公一巡査の自筆によるものではない可能性が極めて大きいことが認められる。

4  これに対し、検察官は、右の馬路証言及び鑑定について、本件指紋原紙の裏面の筆跡と右鑑定の資料とされた右松本の筆跡とでは、筆記条件が異なるのであるから、別人の書いた文字と誤認される恐れがあり、信用することができない旨主張するのであるが、右馬路鑑定の資料中には、筆具、筆記姿勢、筆記速度等を異にして記載されたものが種々含まれており、右鑑定は、これらの資料に基づき、しかも、筆記条件及び筆記中の心理状態等に十分配慮しつつ、個性的な筆癖の一致あるいは稀少性の高い筆癖の相違等を重視し、特徴点を仔細に検討して慎重になされたものと認められ、その鑑定手法、鑑定条件等についても、格別異論を差し挟むべき事情は存せず、十分信用するに値するものである。

そうすると、本件指紋原紙については、立会人の署名がないだけではなく、採取者自身による裏面各欄の記載が欠落している可能性が極めて大きいということになる。そもそも、指紋については、犯行現場から採取されたことに相違ないものであることを前提として初めて高い証拠価値が認められるものであるところ、犯行現場から採取されたことの保証が甚だ希薄な本件指紋原紙をもって、被告人が本件窃盗の犯人であることを認定するための証拠とすることはできないというべきである。

5  ただ、そうだとすると、本件指紋が何処で採取され、どのような経緯で大阪府警本部ないし警察庁にまで送付されることになったのかが疑問となり、この点について、弁護人は、平成二年一〇月一日に大阪府住之江警察署において採取された被告人の指紋が、本件窃盗事件現場から採取された指紋に混入された可能性が高いと主張する。

確かに、被告人の当公判廷における供述及び証人北川敏夫の当公判廷における供述並びに司法警察員作成の平成三年四月二六日付(五丁から成るもの)、同月二七日付(但し、不同意部分を除く)及び同年五月二二日付(但し、不同意部分を除く)各捜査報告書によれば、被告人は、平成二年九月三〇日、勤務先会社から大阪市への貨物運送の仕事を命じられて福岡県を出発し、翌一〇月一日、大阪府住之江区平林南〈番地略〉所在の○○株式会社に到着したが、同所付近で被告人の運転していたトラックが車上荒らしに遇ったため、大阪府住之江警察署に被害を申告し、即日、同警察署所属の警察官により右トラックから指紋採取活動が行われたこと、その際、被告人は、同人のバッグ内にあったキャッシュカードに犯人の指紋が遺留されているのではないかと考え、右カードを同警察署鑑識課員の北川敏夫巡査部長に提出して指紋採取手続を依頼し、また、同警察署において被害届を作成して提出したことが認められ、更に、証人岡本光彦及び同浦岡宗嗣の当公判廷における各供述により、本件指紋原紙が住之江警察署から大阪府警察本部刑事部鑑識課に送付されたのが平成二年一〇月五日であったことが認められることを考え合わせると、弁護人の主張するような混入の恐れもあり得ることのように思われる。

しかしながら、被告人のトラックから対照可能な指紋が採取されなかったことは、被告人も当公判廷において認めているところであり、しかも、証人北川敏夫の当公判廷における供述によれば、右キャッシュカード等からも対照可能な指紋は検出されていないということであるから、右混入の疑いは殆どないものと考えざるを得ず、本件指紋の出所についての真相の解明は、本件公訴事実の存否の判断を職責とする当裁判所の任務を超えるものであり、残念ながら疑問のまま留保せざるを得ない。

二  自白調書について

1  供述の経緯等

被告人の当公判廷における供述及び証人川手尚年の当公判廷(第三回及び第四回)における供述によれば、川手尚年巡査部長ら三名の警察官が、平成三年四月二四日午前五時過ぎころ、当時被告人の居住していた福岡県八女郡広川町の××運送株式会社の寮を訪ね、同日午前六時一五分ころから本件窃盗事件について被告人の事情聴取を行い、同日午後七時ころまで、被告人の居室または付近に停めてあった自動車の中など場所を変えながら、被害者であるA方から被告人の指紋が検出されたなどとして、平成二年九月二八日ころの行動を問い質したが、被告人が、A方へは行ったことがなく、何故自分の指紋が発見されたのか分からない、九月二八日当日何をしていたかについても記憶がない、などと弁明したため、翌四月二五日、八女警察署の取調べ室を借りて、同日午前九時過ぎころから再度被告人の平成二年九月二八日ころの行動を追及したところ、午後三時過ぎころに至り、被告人が本件窃盗事件を自白したことが認められる。

そして、被告人の当公判廷における供述及び証人川手尚年の当公判廷(第三回及び第四回)における供述によれば、被告人が自白をしたのは、警察官らから自分の指紋が出たとして追及されたこと、当日の自分の行動を思い出すことができず、右の追及から逃れたかったこと、当時、被告人が交際していたDも、当日の同女及び被告人の行動を思い出すに至らず、被告人のアリバイを証言して貰うことができず、同女から、警察官を介して、被告人が本件犯行をしたのであれば、早く罪を認めるように言われたこと、被告人が、同女及び勤務先会社に迷惑を及ぼしたくなかったこと等の理由によるものであることが認められる。

右の供述経緯に鑑みると、警察官らが、本件窃盗現場から被告人の指紋が検出されたとして被告人を追及した点には問題がないわけではないが、当時、警察官らは、大阪府警察本部刑事部鑑識課長作成の現場指紋確認通知書等により、現場から真実被告人の指紋が採取されたものと思い込んでいたようであり、本件指紋が現場から検出されたことについて疑問を抱いたり、否定的認識を有していたことを認めるに足りる証拠はなく、警察官らが偽計を弄して被告人に自白を迫ったものとは認め難く、また、被告人が、当公判廷において、自分は半ば自暴自棄になっていたし、被害額が小さい事件なので、被害弁償をすれば執行猶予の判決の宣告を受けて身体の拘束を解かれると思って自白した旨供述していることに徴すると、被告人の自白調書の任意性はこれを肯定することができ、平成三年四月二四日及び同月二五日の取調べ中に、被告人が必ずしも十分な食事及び用便をすることができなかったことについても、供述の任意性を損なうほどに重大な制約を受けたものとは認め難い。

そして、被告人が比較的短期間のうちに本件窃盗事件を自白し、自白した理由も一応合理的なものであることに照らすと、被告人が真実本件窃盗事件を敢行したのではないかとの疑いも生ずる。しかしながら、各自白調書の内容を仔細に検討してみると、そのような疑いを持つことについては、重大な疑問が多々存する。

2  来阪の目的

被告人の司法警察員に対する平成三年四月二九日付供述調書(一〇丁から成るもの)によれば、「会社に対して休みをもらい、時間が取れたことで、以前文通で知り合っていた彼女を訪ねて交際を申し込み、うまくいったら、時期も終わりになる花博(花と緑の博覧会)でも行こうと思い、私の軽四輪を運転して大阪に来たのです。」「以前知り合った大阪の女の子で、二年位文通してつき合ったことのあります豊中市長興寺南〈番地略〉と思う□□三〇三号、E、二九歳位、に対しての思いがあったのです。」とされている。

しかしながら、証人Dの当公判廷における供述及び被告人の当公判廷における供述によれば、本件窃盗事件発生当時、被告人と既に人妻であるDとは、道ならぬ関係にあって、情交関係を重ね、将来結婚することまで誓い合っていたことが認められ、そのような状況にあった被告人が、突然にEを訪ねる気持ちになったというのは不可解であり、右供述調書によっても、その点の心情ないし心境の変化については、何ら触れるところがない。

しかも、被告人の当公判廷における供述によれば、Eなる女性は、被告人らの高校二年生時の修学旅行の際、スキーのインストラクターとして被告人らを指導してくれた人で、被告人とは一年半ほどの間文通したが、その後音信不通となった、文通が途絶えてから本件窃盗事件発生時までに既に数年を経過しており、同女は被告人よりも三歳ないし五歳年長であるということであり、そうであるとすれば、同女は、三〇歳に近い年齢であるから、結婚するなどして他の土地へ転居している可能性が非常に高いにも拘わらず、同女との間で事前に何らの連絡を取り合うこともなく、平日である金曜日に、大阪まで訪ねてきたというのは、如何にも唐突であり、不自然の感を免れない。

また、司法警察員作成の平成三年四月二六日付及び同月二七日付(但し、不同意部分を除く)各捜査報告書によれば、被告人は、平成二年九月二四日から同月二八日までの予定で、福岡県から静岡県までトラック(普通貨物自動車)で荷物を搬送して帰って来る仕事が入っていたが、右の仕事を予定よりも早く済ませ、同月二七日には福岡県へ帰ったことが明らかであるが、被告人が、仕事を早く済ませたことによって生じた余裕の時間を、福岡県へ帰る途中の大阪において、E方を探すために当てようとした形跡は全く窺われず、被告人が、一旦福岡県へ帰った後、何故直ちに大阪へ取って返して来たのか、しかも、大阪へ到着するのは翌日の未明になり、E方を探し出すのが困難になることの明らかな平成二年九月二七日午後六時ころ、何故大阪に向けて福岡県を出立したのかについて、自白調書では何らの合理的な説明がなされていない。

3  窃盗の動機

被告人の司法警察員に対する平成三年四月二九日付供述調書(一〇丁から成るもの)によれば、被告人は、「深夜のことで、彼女(E)の居場所がつかめず、仕方なく行き帰りの高速代、ガソリン代を損した気持が先走り、よし盗みをして取り返そうとしたのです。」とされている。

しかしながら、被告人の司法警察員に対する平成三年四月二六日付供述調書によれば、本件窃盗事件発生当時、被告人には、一か月当たり約一五万五〇〇〇円ないし約二三万円(平均月収一九万円強)の収入があり、自動車やビデオデッキのローンが合計六〇万円ほど残され、その支払義務を負っていたことが認められるものの、勤務先会社の寮に居住して金銭的に困窮した様子はなく、また、高速道路料金の支払いは、大阪へ赴く以上、当初から当然に予定されていた出費であり、被告人の司法警察員に対する平成三年四月二九日付供述調書(一一丁から成るもの)によれば、被告人は、大阪到着時にも、四万円弱の現金を所持していたというのであるから、金銭的に特に盗みを働かなければならない必要性もなかった筈である。

また、被告人は、嘗て文通していたことのある女性に会いたいとの思いを募らせて大阪まで出向いてきたことになっているのに、窃盗の前科前歴がなく、盗癖も窺われ得ない被告人が、その女性の居宅を深夜に三〇分ないし四〇分ほど探しただけで、簡単に訪問することを諦め、その僅か一、二時間後には、その女性の居住している大阪府下において、立て続けに三件の窃盗事件を敢行したとされる自白調書の記載内容は、短絡的で常識に反するものといわざるを得ない。

4  秘密の暴露の有無

被告人の自白調書中には、捜査官が予め知ることができなかった事実で、被告人の自白に基づく捜査の結果、初めて客観的事実として確認されたもの、即ち、いわゆる秘密の暴露に相当する事項は見当たらない。

証人川手尚年は、当公判廷(第三回)において、被害者であるA方勝手口のドアの下に段があって、中に敷物があったことは、被告人の自白により初めて知ったことであると供述するが、勝手口のドア付近に段差があることは寧ろ通例のことであり、中に敷物が置いてあることも、さほど珍しいことではなく、既にA方の実況見分等を経ていた同証人の十分知り得た事柄である。

また、被告人の司法警察員に対する平成三年四月二九日付供述調書(一一丁から成るもの)には、被告人の作成したA方の図面が添付され、なかでも、台所部分は詳細に描かれており、証人川手尚年は、当公判廷(第三回及び第四回)において、右の図面は、捜査官が何らの資料を示すことなく、被告人が記憶に基づいて独力で作成したものである旨供述する。

しかし、深夜、立て続けに三軒の住宅に侵入したとされている被告人が、それから約半年経過した後も、なおその中の一軒であるA方の台所の配置を詳細に記憶しているとすれば、それは寧ろ異例なことというべきであり、加えて、右供述調書によれば、被告人は、午前五時近くにA方に侵入して盗みをしたとされているのであるから、未だ夜明け前の暗闇の中で、右図面に描かれている如く明確に台所の中を見通すことができたかどうかという点でも疑問が残る。

確かに、司法警察員作成の平成三年五月八日付写真撮影報告書によれば、A方西側約一〇メートルの所に位置する街灯のあることが認められ、その明かりが台所に差し込む可能性も考えられるが、司法警察員作成の平成二年一〇月一一日付写真撮影報告書及び石井義人撮影に係る写真五葉によれば、右街灯とA方台所との間には、本件窃盗事件発生当時、葉を繁らせた広葉樹一本及び針葉樹一本があり、台所南側の出窓に障子あるいはブラインド様の遮蔽物があることが認められ、これらの事情に照らすと、台所内部は、相当に暗かったものと推認され、証人川手尚年は、当公判廷(第四回)において、前記供述調書の完成後に被告人に本件窃盗事件現場の写真五枚を示した旨供述しながら、その写真を示す必要性があったのかと問われて答えに窮したことを併せ考えると、右の図面は、被告人の認識している一般家庭の台所の配置と取調べ担当の川手尚年巡査部長から見せられた写真を総合し、更に、同巡査部長による黙示の誘導に基づいて作成した旨の被告人の当公判廷における供述が真実であると思料される。

5  客観的事実との整合性

(一) 本件窃盗事件においては、前記のとおり、A方台所でバッグ三個が盗まれたほか、同人方玄関出入口のスリッパ立て付近からB所有のショルダーバッグ一個が盗まれており、犯人がA方玄関出入口に入り込んでいることは明らかであるが、被告人の自白調書においては、この点は全く触れられておらず、被告人の平成三年四月二九日付供述調書(一一丁から成るもの)添付の図面にも、玄関付近の様子は台所のようには詳しく描かれておらず、しかも、司法警察員作成の平成二年一〇月一一日付実況見分調書によれば、A方台所には玄関に通じる出入口があることが認められるのに、右図面には、その出入口付近が閉じられたままに描かれており、客観的な構造と整合していない。

(二) 被告人は、平成三年四月二九日付供述調書(一一丁から成るもの)において、本件窃盗事件以外に、二件の窃盗余罪を自白し、一件目については、西淀川区において、「一戸建の家を探しました。塀のなかに入り裏に廻って勝手口を開けて台所に入ったところ、中で皿のような器を落として音がしたので、あわてて逃げました。」と供述し、二件目については、西成区において、「やはり一般の住宅を探したのです。塀の付いた家で塀を乗り越えて勝手口ドアーをドライバーで壊し、侵入して一般の家に入ったが、現金はなかったです。」などと比較的詳しく供述しているのに、証人川手尚年の当公判廷(第四回)における供述によれば、被告人の自供に基づき被害現場を管轄する西淀川警察署及び西成警察署に電話で照会したが、右自供に副う盗難被害の届出はなかったことが認められ、また、本件記録によるも、捜査官が、被告人に対し、本件窃盗現場に対するのと同じように、右余罪の犯行現場への案内を求めた形跡がないことに鑑みると、そのような窃盗事件は被告人の作り話である可能性が高い。

6  供述内容の不自然、不合理性

(一) 被告人の司法警察員(平成三年四月二九日付=一〇丁から成るもの)及び司法巡査に対する各供述調書によれば、被告人は、平成二年九月二七日午後六時過ぎころ、当時被告人が使用していた父親所有名義の軽四輪貨物自動車(ホンダアクティストリート、五五〇cc)を運転して福岡県を出発し、大阪府に向かったが、途中、山口県美東サービスエリア、兵庫県七塚原サービスエリア及び兵庫県加西サービスエリアの三か所の給油所において、いずれも二〇リットルくらいずつのガソリンを給油した、とされている。しかしながら、司法警察員作成の平成三年七月三日付捜査報告書(但し、不同意部分を除く)によれば、右自動車のガソリンの給油可能容量は約三七リットルであり、しかも、右自動車は、高速道路においては、ガソリン一リットル当たり約一五キロメートルの距離を走行することができ、被告人の居住していた福岡県内の寮から大阪府の本件窃盗事件の発生現場までの道のりは約六七六キロメートルと推認される(司法警察員作成の平成三年五月五日付捜査報告書(但し、不同意部分を除く)によれば、佐賀県鳥栖ジャンクションから大阪府池田インターチェンジまでの道のりは637.1キロメートルであることが認められ、また、福岡県八女郡広川町から鳥栖ジャンクションまで及び池田インターチェンジから本件窃盗事件の発生現場までの道のりは、いずれも二〇数キロメートルと推定され、司法警察員作成の平成三年七月三日付捜査報告書(但し、不同意部分を除く)等によれば、その道のりは合計約六七六キロメートルであることが推認できる)ので、右行程中に一般道路部分が数一〇キロメートル分含まれることを考慮しても、五〇リットル程度のガソリンがあれば走り抜くことができ、従って、途中で一回給油すれば十分走破できるものと認められる。それにも拘らず、途中三回に亘って給油したとする被告人の供述は不自然であり、且つ、右三か所の給油所のいずれについても、これを裏付ける証拠は提出されていない。

(二) 被告人の司法警察員に対する平成三年四月二九日付(一一丁から成るもの)供述調書には、被告人が、A方に侵入するに際し、同人方南側の門扉を乗り越え、当初は玄関に向かって左側(西側)の方向へ行こうとしたが、かなり狭くて通り抜けできないと思い、もう一度外に出てから、次に右側(東側)の扉を廻り、ここを乗り越えて再び屋敷内に入り、同人方の右側を塀寄りに少し行ったところにあった勝手口から台所に侵入した旨記載されている。

しかしながら、石井義人撮影に係るA方居宅の写真によれば、同人方居宅の西側は完全な行き止まりとなっていることが認められる。この点について、右供述調書を録取した川手尚年巡査部長は、当公判廷(第一二回)において、右供述調書中の「左側」という部分は「右側」の誤記であったとして訂正の供述をするのであるが、司法警察員作成の平成二年一〇月一一日付写真撮影報告書及び石井義人撮影に係るA方居宅の写真によると、同人方玄関に向かって東側には、台所の出窓があり、また、庭木一本が植えられてあるものの、これらと南側外塀との間には、狭い所でも五〇センチメートル以上の、人が十分通り抜けすることのできる空間があり、しかも、本件窃盗事件の犯人は、犯行後、現金以外の窃取物品を右庭木の根本付近に捨てて逃走しているのであるから、実際に右空間を通ったことになり、被告人が真犯人であるとすれば、右空間が人が通るには狭すぎるという認識には至らない筈である。

そうすると、右の空間を通って同人方東側の勝手口に十分廻り込むことができたにも拘らず、一旦入り込んだ屋敷内から門扉を乗り越えて塀の外に出、再度東側の門扉を乗り越えて再び屋敷内に侵入した旨の被告人の前記供述は不可解であり、夜間とはいえ、一旦他人の屋敷内に忍び込んだ泥棒が、門扉を二度、三度と乗り越えて出入りを繰り返すというのは、通行人や近隣住民に発見される恐れが強く、如何にも常識に反する行動であると言わざるを得ない。

(三) 被告人の司法警察員に対する平成三年四月二九日付(一一丁から成るもの)供述調書によれば、被告人は、A方に侵入するに際し、小型バール一本を持って行ったが、時刻も午前五時に近かったため、急いでいたこともあり、手袋はして行かなかった、とされている。

しかしながら、司法警察員作成の平成三年五月八日付捜査報告書(但し、不同意部分を除く)によれば、平成二年九月二八日当日の日の出の時刻は午前五時五〇分であることが認められ、日の出まで一時間ほどもあるのに、手袋を忘れるほど慌てる必要はないものと思われ、小型バールを持って行った人が手袋を忘れて行くというのも不自然であり、しかも、被告人には、強姦致傷の前科があり、指紋を隠す必要があるから、被告人が本件窃盗事件の真犯人であるとするなら、手袋を忘れてなおかつ素手で物色行為に及ぶとは考え難いところである。

(四) 被告人は、約六万円ないし約七万円の現金を窃取したと自供しているが、具体的な窃取金員の種類(金種)及び内訳については、いずれの自白調書においても、何ら触れるところがない。

(五) 被告人の司法警察員に対する平成三年四月二九日付(一〇丁から成るもの)供述調書によれば、被告人は、E方を探し当てようとした際、約三〇分ないし四〇分位人に尋ねてみた、とされているが、具体的に何処でどの様な人に何と言って尋ねたかについての記載はなく、これを裏付ける証拠もない。

7  小括

これらの事情を総合考慮すると、被告人の自白調書の記載内容は、被告人が、逮捕されて四日後には否認に転じ、捜査官が詳細な自白調書を取る時間的余裕がなかったことを十分顧慮してもなお、不合理で不自然の感を免れず、本件窃盗を真に敢行した実体験者の供述としての具体性、詳細性、迫真性にも欠け、たやすく信用することができない。

結局、被告人の自白調書は、被告人が当公判廷において供述するとおり、捜査官から、本件窃盗事件現場で被告人の指紋が検出されたとして追及され、当時の自己の行動を思い出すことができず、頼みにしていたDからもアリバイ証言を得られず、却って、本当に盗みをしたのなら、早く自供して罪を償って欲しい旨同女が言っている旨聞かされた被告人が、同女に及ぼす影響及び勤務先会社に及ぼす迷惑等を慮って混乱し、半ば自暴自棄の状態に陥り、また、本件窃盗事件を自己の犯行と認めて早期に執行猶予の判決を受け、身柄の拘束を免れたいとの心境になっていたところへ、本件窃盗事件の発生当日、現場に臨場し、以後本件窃盗事件の捜査に従事し、捜査報告書や実況見分調書を作成するなどして詳細に状況を把握していた取調べ担当官から、明示または黙示の誘導を受け、これに迎合した結果成立したものと思料されるのである。

三  アリバイの成否

1  証人F及び同Dの当公判廷における各供述並びにFの司法巡査に対する供述調書を総合すると、次のとおりの事実が認められる。

(一) Fは、平成三年五月初旬ころ、同人の妻Dから、警察が本件窃盗事件の犯人として被告人を疑っており、被告人の平成二年九月二七日及び同月二八日のアリバイが問題となっていることを知らされた。

(二) そこで、Fは、当時の出来事を思い起こし、平成三年五月七日午後六時ころ、被告人の弁護人片井輝夫に電話を架け、「私は、兄から頼まれて、平成二年九月二一日から二八日まで、大阪府高槻市のGという兄嫁の妹の嫁ぎ先の家で、兄と一緒に左官の仕事をしていた。九月二八日の夕方に高槻を出発して翌二九日の昼前までには福岡県八女郡の自宅に帰った。帰った日の夜に被告人が家に遊びに来た。その時の話の中で、自分が高槻から帰るために中国自動車道を走行していた当日、被告人も仕事の帰りで、自分らよりもやや遅れて、同じ中国自動車道を同じ方向に走っていたことを知った。被告人に対し、高槻を出発した日の夕方、自動車のバックミラーを見ると大阪の方は真っ暗になっていたので、兄と二人でもうすぐ雨が降ってくるだろうという話をしたことを言うと、被告人は、広島付近で通行止めに遇ったことを話した。そこで、自分は、広島付近で、午後一〇時から下り車線夜間全面通行止めの注意書が出ていたので、大急ぎで帰り、通行止めになる前に通過することができたと言った。そういう話をしたので、被告人が九月二九日の日に遊びに来たことは良く覚えている。」旨話した。

(三) これに対し、同弁護人から、「被告人は、九月二九日朝には定刻通り広川町の会社に出勤している。Fさんより遅れて九州に向かっていた被告人が二九日朝八時に出勤することは不可能なので、その話はちょっとおかしい。」との話があり、Fは、「自分が間違っているかも知れないので確かめてみる。」と返答した。

(四) Fは、平成三年五月七日午後八時ころ、同弁護人に対し、「兄に確かめてみたところ、兄の家に、九月二六日午後五時一七分に西宮で給油したときの領収書があった。これによって、九月二六日の夕方に大阪を出発し、二七日の昼前には自宅に着いたことが分かった。先程の話は自分の間違いであった。被告人は、九月二七日の夕方に来て、午後一一時過ぎまで私の家に居た。」旨電話で話した。

2  そして、Fの当公判廷における供述及び司法警察員作成の平成三年五月一四日付捜査報告書に添付されている神戸三協石油株式会社作成の納品書(領収書)の写しによれば、Fが、平成二年九月二六日の一七時一七分に、中国自動車道の同株式会社名塩サービスステーションにおいてレギュラーガソリン32.9リットルの供給を受けていることが認められ、また、日本道路公団広島管理局総務部長作成の照会回答書によれば、中国自動車道については、平成二年九月二六日午後一〇時から同月二七日午前六時まで、広島北ジャンクションから戸河内インターチェンジまでは上下線とも、六日市インターチェンジから鹿野インターチェンジまでは上り線のみ、それぞれ通行止めになっていたことが認められ、且つ、司法警察員作成の平成三年四月二六日付(五丁から成るもの)捜査報告書によれば、被告人が勤務先会社で使用しているトラックのタコグラフは、平成二年九月二六日午後一〇時五〇分ころから同月二七日午前六時四〇分ころまでの間は、停止状態にあったことを示していることが認められ、更に、大阪管区気象台長及び神戸海洋気象台長作成の各気象資料照会回答書によれば、平成二年九月二六日午前六時から午後六時までの気象状況は、大阪は雨、神戸は曇りのち雨、平成二年九月二六日午後六時から同月二七日午前六時までの気象状況は、大阪は曇りのち晴れ、神戸は曇り一時晴れであったことが認められる。

3  これらの事実は、いずれもFが被告人の弁護人に電話で話した内容に概ね合致するものであり、被告人は、本件犯行の前夜である平成二年九月二七日の午後一一時過ぎころまで、F方を訪れていた可能性が極めて高い。

4  これに反し、証人F及び同Dは、当公判廷において、いずれも、Fと被告人とが、平成二年九月下旬ころ、F方において、前記内容の話をしたことは間違いがないが、それが九月二七日から二九日までのいずれの日であったかについては、はっきりしない旨供述する。しかしながら、

(一) Fは、前記のとおり、同人の妻Dから、警察が被告人の平成二年九月二七日及び同月二八日のアリバイを問題としていることを十分認識したうえで、自ら進んで被告人の弁護人に電話をしたものである。

(二) 司法警察員作成の平成三年四月二六日付(五丁から成るもの)、同月二七日付(但し、不同意部分を除く)及び同年五月二二日付(但し、不同意部分を除く)各捜査報告書によれば、被告人は、勤務先会社の指示により、平成二年九月二五日午前一〇時ころから同月二七日午後一時ころまでの間、トラックを運転して福岡県八女郡と静岡県榛原郡との間を往復し、約二〇八一キロートルを走行していること及び同月二九日午前九時ころには会社に出勤していることが認められるが、被告人が本件窃盗事件を敢行したうえ、同月二八日夜にF方を訪ねるためには、同年九月二七日午後から翌二八日夕方までの間に、更に福岡県八女郡と大阪府住之江区の間約六七六キロメートルを往復し、約一三五二キロメートルを走行しなければならないことになり、そうすると、被告人は、同年九月二五日午前一〇時ころから同月二八日夕方までの間に、トラック(普通貨物自動車)内で、合計しても一〇数時間の仮眠ないし休憩を取っただけで、合計約三四三三キロメートル(一日平均一〇〇〇キロメートル強)の道のりを走破しなければならないことになるが、これは、いかに被告人が職業運転手であるとはいえ、殆ど不可能なことであり、仮に可能であったとしても、同月二八日の夜は自宅である寮に帰って布団の上でゆっくりと眠るのが自然であると思われ、本件窃盗事件を敢行してなお、二八日の夜もF方を訪ね、午後一一時過ぎまで話し込むことは通常では考え難い。

(三) Dの当公判廷における供述によれば、同月二九日の日は、会社での仕事を終えた後(司法警察員作成の平成三年五月一〇日付捜査報告書によれば、同女が勤務先会社を退社したのは午後五時一九分である)、子供の運動会用のテントを張るために学校へ行き、午後六時半ころまでその作業をしたということであり、その日の夜に被告人がF方を訪れた様子はないことが認められる(なお、被告人が、同月三〇日から同年一〇月二日まで、福岡県八女郡から大阪府までの運送業務に従事していることは、司法警察員作成の平成三年四月二六日付=五丁から成るもの、同月二七日付(但し、不同意部分を除く)及び同年五月二二日付(但し、不同意部分を除く)各捜査報告書によって明らかである)。

これらの事情を総合すると、被告人がF方を訪ね、Fとの間で前記内容の話をしたのは、平成二年九月二七日夜のことであると認められる。

5  なお、Fは、当公判廷において、平成二年九月二七日は昼ころから夜一〇時ころまでパチンコ店へ行ってパチンコをしていたとも供述するのであるが、右パチンコ店に出掛けていたことは、捜査官に対しては全く述べておらず、当公判廷において初めて言い出したことであって信用することができず、また、九月二七日夜に同人方を被告人が訪ねてきたことの記憶が曖昧になったのは、同人が、捜査官から事情聴取を受けた翌日の平成三年五月一〇日に至って被告人と同人の妻との間の不貞関係を知るに至ったことが大きく影響していることが窺われ、同人の当公判廷における供述は、信用することができない。

6  このようにして、被告人が、平成二年九月二七日午後一一時過ぎころまでF方にいたとすれば、本件窃盗事件の発生時刻までには時間的な制約があり、仮に、本件窃盗事件が同月二八日午前六時に発生したものであるとしても、その時刻までに、被告人が大阪に辿り着くことは殆ど困難なこととなる。

すなわち、被告人が当時居住していた福岡県八女郡広川町から九州自動車道及び中国自動車道を経由して本件窃盗事件現場である大阪市住之江区東加賀谷〈番地略〉所在のA方まで赴くには、約六七六キロメートルの道のりがあることは前記のとおりであり、被告人がF方を辞して後、間もなくの平成二年九月二七日午後一一時三〇分ころに広川町を出発し、本件犯行が翌同月二八日午前六時ころに行われたとしても、その間には約六時間三〇分しかなく、平均時速一〇〇キロメートル以上の速度で進行しなければ、犯行可能時刻までに本件犯行現場に到着することはできないことになる。そして、右の時間帯に被告人が大阪へ行くための交通機関としては、自動車以外にあり得ないところであるが、被告人の当公判廷における供述及び司法警察員作成の平成三年四月二六日付(三丁から成るもの)捜査報告書(但し、不同意部分を除く)によれば、被告人が当時使用していた自動車は、年式が相当古く、平成三年二月二八日に廃車としてしまった軽四輪貨物自動車(ホンダアクティストリート、五五〇cc)しかなく(被告人が他の自動車を使用して大阪へ赴いた形跡は、本件全証拠によるも窺い得ず、また、右の時間帯に被告人が速度違反等で検挙された様子もないことからすれば)、右自動車は、時速一〇〇キロメートル以上の速度を出すとエンジン音が大きくなり、ハンドル等に振動が来て危険な状態になる、ということであるから、被告人が、同月二八日午前六時ころまでに本件窃盗事件の現場へ到着することは、先ず以て不可能であるといわざるを得ない。

7  このように見てくると、被告人について、本件犯行時刻のアリバイが成立する可能性が極めて高く、その反面、本件犯行現場に被告人の指紋が残される可能性は益々希薄となり、また、被告人の自白調書の信用性も益々低いものとならざるを得ない。

四  盗難現場への案内

1  検察官は、被告人が警察官らを本件窃盗事件の発生現場に案内した事実をもって、被告人が本件窃盗犯人であることの有力な証左であるとも主張する。

確かに、証人川手尚年の当公判廷(第三回)における供述及び被告人の当公判廷における供述によれば、被告人が、平成三年四月二六日、勾留質問終了後、警察官からの申出を受けて、川手尚年巡査部長の運転する車で、同人ら三名の警察官を本件犯行現場へ案内し、主として被告人の指示によって犯行現場まで到達したこと、途中、被告人は、「なにわ筋より東側のやや広い道だったと思う」と述べ、中華料理店付近で左折の指示をするなどし、「ああ、ここ見たことのある四つ角ですわ。」と言った所から約一〇メートルほど進行したところでA方に到着したことが認められ、この事実に照らすと、被告人が本件窃盗事件の犯人であることを疑う余地も残るところである。

2  しかしながら、土地勘も殆どなく、夜間に、窃盗目的で忍び込んだ碁盤目状の住宅街の中の一軒の民家を辿る経路について、約半年以上も後になお窃盗犯人が記憶しているというのは疑問であり、これに、これまで説示してきた諸事情を併せ考慮すると、被告人が警察官らをA方にまで案内することができた事実についても、被告人が当公判廷において供述するように、前記のとおりの混乱した心理状態にあって、本件窃盗事件の犯人であることを認め、執行猶予付の判決を得て早期に拘束を免れようと意図していた被告人が、当時記憶していた被疑事実中のA方の住所地番及び被告人の運転手としての経験を通して知り得た大阪府住之江区の地理についての知識を活用し、且つ、同行した警察官らから暗黙の示唆を受け、付近の住居表示と表札を見て、偶々A方に辿り着くことができたものと思料され、右被告人の現場案内の一事をもって、被告人が本件窃盗事件の犯人であると認めることはできない。

第四  結論

以上の次第で、本件指紋がA方から採取されたものと認めるについては重大な疑問があること、被告人の自白調書には、不自然不合理な点が多々あって、にわかに措信し難いこと、更に、被告人が、本件犯行前日の平成二年九月二七日には、午後一一時過ぎころまでF方に居たものと認められ、従って、本件窃盗事件の犯行時刻までに犯行現場に辿り着くことは殆ど不可能であること等の事情を総合考慮すると、被告人を本件窃盗事件の犯人と認めることは到底できず、他に被告人が本件窃盗事件を犯したことを認めるに足りる証拠もなく、結局、本件公訴事実については、犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官山内昭善)

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